昭和54年3月13日 十三日会
中村良一
えー、まぁ秋永先生が、いわば、締めくくりのお話がなされました。それも、合楽というものを、何十年間、肌で感じて、自分が体験して、倒れ転びしながら、今日の秋永先生があるわけですから、その中からの、今の発表ですね。ですから、あそこまでは、お互い、みんなが、やはり分からなければ、合楽に縁を頂いた値打ちがない。先ほど、岩部先生が発表しておりましたように、もうとにかく、現在の合楽というものは、地球上の人類というだけの事ではないんだと。もう、それこそ、宇宙全体のことが願われておる。地球との係わり合いにおいての宇宙である。今、人間が幸せになっていくという時点という、まぁ人類が幸福になるという時点で、その天地との繋がりであり、地球上の、まぁ、今日、合楽で言われておる士農工商の助かり。士農工商とは、人類のすべてが、その中に入ってくる訳なんです。もう、いよいよ、悲願の彼方である所の合楽世界に住まわせて頂く。そのために、私共が、合楽示現活動に、本気でその気に、ためには、今の、その、岩部先生が発表したこと。今、秋永先生が言われたことがね、これに入っておらなければ、本当の合楽示現にはならん。
ただ、病気が治りますよとか、あの、とにかく、運が開けますよというだけのことであったら、何々様もあるじゃないのという様な事になってくる訳です。だから、これだけは、もう、今言う、今まで、宗教と言うて、いわゆる、あの、合楽で言われる、宗教以前の宗教というものが、こう、はっきりしてきた訳なんですよね。それで、今までの宗教家は、反対のことばっかりを言って来たんだという、仏教的に説いても、キリスト教的に説いても、ほんなら、最近の、その、禅林会の会長が説かれたことでも、結局、あの、右手のことだけを説いて、左手は、忌み穢れたものであったり、または、魔の手であったりという風に説いてきたんです。ところが、そんなことではない、ね。例えば、ほんなら、十三日、という世界の悪日が、実を言うたら、もう神様の、やむにやまれん、神願成就、氏子幸せになってくれという願いの日である、ね。そこには、本気で素直に詫びる気になったら、過去のことは、もう許してもやろう。これからおかげをいただいてくれよと言う、その願いが十三日会、十三日という日は、そういう尊い日だ。世界の悪日ではなくて、神愛の一番込められた日だという風に、ぜんぜん反対のことが説かれている。そして、ほんなら、合楽で、その実を上げておるわけなんです。ね。
私は、今日、御道の新聞が参りましたから、こちらへ来るときに、ちょっと見せていただいたら、あの、神様から、もういよいよ、御霊様の霊祭が近づいてまいりますから、春の御霊様近づくと、御霊は、わが心に生き給うという、大きな見出しで、これは、どこの先生でしたか、呼子の、甘木の大変に素晴らしいお弟子さんなんです。大変、御比礼も頂いておられる先生が書いておられます。もうお互いも、もう霊祭が、そろそろ近づいてまいりましたから、本気で、さっきの千恵子さんの息子の話じゃなかばってん、心構えをしとかなければね、いけない訳なんですけれども、御霊はわが心に生き給う。それは、百代、千代前から、私の、言うなら、血筋、先祖というものはある訳ですから、その何百代前の、例えば先祖であっても、私の、この血の中に、御霊は生きておられるということは事実なんです。だから、それが頂けたところで、分かったところでです。ほんなら、御霊も助からなければ、自分も助からんという訳です。はぁほんなら、現在の肉親の親も、私の血であり、私の先祖であるということと同じことだから、ほんなら、その先祖を大事に、親を大事にしなければならんという論法になってくる訳ですから、もちろん、それどころじゃないけれども、本当に助かるということなら、私は、それを反対に、それこそ、今日の、金光教の場合じゃない、私の説くところの御霊感から言うと、これが全部、反対になってくるです。わが心が御霊の心に生きるのだとあるんです。自分の心が、御霊の心の中に生きるんだと、ね。御霊がわが心に生き給うというのは、おかげにも何も繋がらない。ただ、何百年、何十代の気がここにあるというだけであって、御霊も、それで助かるわけじゃなかでしょうが。ね。喜びの安心の御霊ということになる。この中に書いてある。私がわかりませんから、今、休憩時間に、佐田先生に読んでいただきました。もう、今までの私なら、それこそ、随喜の涙を流して聞いたことでしょうけれども、全部、本当なことではないことを、本当のように思い込ませてきた、過去の宗教というものを、改めてここに、いわば、ひっくり返さなければいけないなというものを感じるわけです。ね。
御霊の亡くなられる時に、呼子の先生のところに、親先生がお見えになられたとか。または、今の先代の大奥様が、あなたが亡くなられて、確かに御霊様の働きを、甘木教会の上になさってござってあるでしょうと。けれども、私は、凡夫でね、それが分かりません。あなたの働きかどうか。だから、どゆぞ、あなたの働きを見せてくださいと言うて、御霊様に、一心に願われたげな。そしたらね、天地を拝みだしたげなよ。ね。まぁだから、その、そういう働きは、たくさん、だからある訳です。だから、ほんなら、御霊様が働きござるということではないということを、合楽では言ってるわけですよね。それは、天地の親神様が、氏子を幸せにせずにはおかん、また、そこんところを信じて貰いたいという、天地の親神様のご演出なんだと。
例えば、ほんなら、○○教会の、こら甘木教会でも良いですけれども、本当に御霊様が、言えば応えるようにして、そういう働きがあるならね。まちっと、人が助からなきゃいかんです。ただ、それはね、言うなら、天地の親神様のトリックなんだ、ご演出なんだと。ね。だから、それは決して、甘木の初代が出て見えて、天地をこうやって動かしよりなさるとじゃない。天地そのものの演出であるという頂き方なんです。ね。だから、いかに天地の、その甘木の親先生が、天地のご信用を受けておられたか。また、お取次ぎの働きというものを、御霊ながらに現しておられるということは、御霊ながらに、ご自身が助かっておられますけれども、そんなら、そこに、孫が、子供が、そこに転んだから起こしに来てやる。孫が頼みよるけん助けてやるという訳にはいかん。助けてくださるのは、どこまでも天地の親神様だということなんです。ね。昨日の、あの、金光大神と、天地の親神様との、それから、私、その一体感という話をさせて頂きましたら、昨日、あの、中外日報の新聞が月に何回か送ってくる、それに、一体感ということが出ておるんです。
先日から、今度、私共、菊栄会の、あの皆さんが、大祭の後に、あの、まぁ信心実習を致します。今度は、韓国行きが思い立たれておりました。それで、まぁみんな、そのつもりでおったんですけれども、昨日、一昨日、一昨日の、昨日の晩です。神様から、その事をやめる様に頂きました。それで、ようと考えよったら、さっき、菊栄会の方達が十何名、まぁ参ります。そしてほんなら、まぁ旅費だけでも五万からかかると言う。それで、何人の皆さんが、五万円出すごたることは平気で行けれる人があるかと思ったら、ほとんどの人は応えん、その五万円が。で、五万円だけじゃないもん、やっぱ、十万ぐらい要るかも知れんもん。ね。ですからね、あのこれは、止めなければいけないなと言うて、その朝、発表しました。朝の御祈念の時に、後に。そして、下がらせて頂いたら、西日本新聞が来ておりました。そして、一番初めの、大きい見出しのところにね、いつも私が、あそこを見て、あぁ西日本新聞は、私のために、いつも活字を拾ってるなと思うんですけれども。ひらがなでね、大きく、こんな大きな字でね、金がかかりすぎると書いてあった。あはっ、だから、私の思いじゃない。そして、あのいわゆる、さっき言う、運勢のところがある。トラ年のですから、トラ年は、ポイントの切り替えと、こらあることですけれども、ポイントを切り替えなければならないと言う事を頂きました。もう、こういう様なことがね、例えばほんなら、子供達が、あちらへ参りました、起きてくるその全ての、いろんな事柄のなかにです。これは、とてもとても、容易ならない天地の働きというものが、合楽にかけられておる、もう少しばっかりの印なんです。その印が、言うならば、氷山の一角の様に現れておるところを見て、まぁお互いが、あれよあれよと思うたり、まぁ、有難いと言うたりしとるのであって、その根本のところというものは、まぁだ、どのくらい深いか分からない。その深いところを、先ほど、岩部先生が発表しとったですね。もう、ここにおればおるほど、それを身にひしひしと感じるわけなんです。こりゃ、大変なところだな、合楽というところは、大変なことを神様の中に願いをかけておられるところだな。だから、僕達、一人ひとり、特に黒衣を着せて頂いておる僕達の場合は、もうこれは、この神様の願いに応えなければならんことが、幾つもあるわけなんです。ところが、その自分の思いと、身体が言うことをきかん、まぁ一つのジレンマの様なものを、今日発表しておったんですけれども、そこまでは分かっておるということなんです。合楽にかけられておる願い、また、合楽にご縁を頂いた一人ひとりの上にかけられておる、その願いというものをです、お互いが、その自覚に立たなきゃいけない。そして、分かってるんだけれども出来ないというところをね、願っていくわけなんです。ね。そして、いわば、何かの、言うならば、機会にね、それが、いうなら、ごそごそと、いわば、バケツの中に這い回っておる、その蟹が、立ち上がって、上のバケツのヘリに、この手をかけて、渾身の力で上に這い上がる、向こうの世界に、真善美に輝く世界とか、ね。合楽の世界、貧争病のない世界という世界が、その向こうにある。だから、ここだけは、どうでも、その時に来たら、いよいよ、渾身の力が出せる、言うならば、稽古を、今、だから、ほんなら、合楽で熱心に信心をなさっておられる。また、御道の教師を志してこられて、あの毎日、修行をさせて頂いておる方達の中に、ほんなら、私から見たら、めだるいこともあるし、もう、そげなこっで、御道の教師を志すとかと言うたこともある訳です。けれどもその、言うて出来たようなことじゃ出来ん。自分の心から、その気になった時、初めて、言うならば、出来なかったことが出来るおかげが受けられる。ためにはね、その、今言う、その岩部先生が話したことやら、秋永先生が話しておったことやら、若先生が話しておった様なことやらというものがです。そういう、複雑な様ですけれども、神様の願いというものが、この十三日にかけられてある。
合楽が誕生したのは、十三日会が、言うならば、出来るために、合楽教会が出来たというても過言ではないほどしに、まぁ今日は、私は、切実に思うんですけれどもね。だから、皆さんが、合楽にご縁を頂いたということが、そういう大変なことなのだと。ね。いよいよ、御霊様のお祭りが、二十三日の一時からですか。春の御霊様のお祭りがありますがね。そういう信心を踏んまえて、そして、その御霊様に、生き生きと喜んでもらえるためには、ね。あなたの血が、私の中に流れておりますというだけで、果たして御霊が喜ぶだろうか。ね。私の心が、生き生きとして、ね。私の心が生き生きとして、その御霊様へ向かう時に、ご先祖のおかげで、御霊様のおかげで、私が、こういう生き生きとした喜びの世界に入っておって有難いという、その心で、真心が、言うならば出し切られる。ね。言うならば、お神酒一本でも、牡丹餅ひとつでもです、ね。そういう生き生きとした喜びが現されて、そこにお祭りが仕えられるというのであって、初めて、御霊の喜びということが言えるのじゃないだろうか。こことは、だから、ね。御霊はわが心に生き給うのではなくて、わが心が、御霊の心の中に生きるのでございます。だから、心構えをしておかなければ、さぁ、御霊様のお祭りじゃけん、さぁ饅頭ん一箱ん持っていきゃ、それでよかということではいけないと。地平を作っておかなければならない。そこに、御霊との交流を感ずる。それを神様が喜び給わないはずはないということになるのです。ね。いわば、合楽で言う、御霊物語と言うのは、そういう逆さまなお話ではなくてです。もう本当にそのままの、いつの場合でも、御霊物語なのです。
先日から、福岡の稲垣さんのお宅が、改式のおかげを頂かれました。もう、大変なお祭り、私が、参りませんでしたけども、末永先生が御祭主で、青年の先生方と奉仕いたしました。もう本当に有難い、それから、十日ぐらい致しましてからでしょうか。あちらのお婆ちゃんが御夢を頂かれた。その御夢というのが、お爺さんがね、あの、お風呂へ入っておられる。亡くなられた先代なんです。それで、お婆ちゃんが、後ろから行って、一生懸命、背中を流してあげておられる御夢。お風呂にはお湯が入っておる。こちらには、うめ水が置いてある。向こうのほうには、薪が一杯積んであって、温いならば焚いてくださいと言わんばかりに薪が積んである。こちらには、うめ水がある。そこで、一生懸命、あの、ご主人であるお爺さんの背中を流して頂いておったという御夢を頂いたという、ね。こちらの心がです、合楽の信心が分かれば分かるほど、こりゃ、私共が助かるだけではいけん、先祖も助かってもらわなければいけないと言うて、改式のおかげになった訳です。そしたら、今まで、まぁ分かり安く言うとですよ、地獄にござったかも分からない。それを神様がね、お風呂場へ連れてきてと。お風呂場ということ、お風呂という事は、極楽という意味なんです。ね。はぁ極楽と言うでしょう。暑い寒い時ね、お風呂を頂くということは。ですからね、それが、手も浸けられんごと熱かったっじゃ、そこにお湯はあっても出来んでしょう。これはまぁ、上がる時、上がり際まで、ぬーるかっじゃどんこんいかんでしょう。その極楽がね、それこそ、うめ水があり、薪があり、ね。そして、今まで、言うなら地獄で汚れとったつは、まぁ地獄できとったげん言葉が悪いけれどもね。まぁ、それほどしに助かってござらなかった御霊様を、極楽に案内して差し上げるということが出来るという働きをです。その夢物語の中から、御霊様物語の中から、感じるでしょうが。これなら、みんなが合点が行くでしょうが。ね。そういう働きがね、こちらが生き生きとした喜びを以ってすると、御霊にも助かる。と言うて、なら、御霊様がこちらに、はぁ幾ら助かった御霊でも、孫がこけとるけんで起こしてやろうということは出来ん。これは、甘木の親先生の御霊でも、そんなことは出来る筈はないと。もし、出来れても、御霊様が出て来て下さって、助けてくださったという例は幾らもあるんです。この中に、それが書いてあるです。もう祭壇が送って、起きてくるとには、必ず、あの初代の親先生が、あの御夢の中にあって、いろいろとお知らせを下さって、まぁ大難は小難、小難は無難のようにして、おかげを頂いておるということを書いてありますが、決して、それは、あの御霊様、その先代を、いわば、尊び祀っておられるということの、その有難さによって、御霊との交流が、いつもあっとるけれども、助けてくださるのは、天地の親神様だと。ね。そういうような天地の親神様が助けて下さった訳でも、誰が助けたっじゃ分からんから、甘木の安武松太郎を使うて下さるということをね。この辺のところも、すっきり、私共の一つの御霊感というものが、あの合楽理念を以ってすると、今まで、私どんが、御霊のことについて思うて来た事が、全部逆さまになるです。ね。
だから、この辺の事実と同時に、私共の生き方の上においても、今までの宗教理念では、いよいよ、ややこしゅうなるばかりで、本当の助かりということはあり得ないという事。ね。もう本当に、一生を、その道にささげたという人達が、ほんなら、晩年に、あの、キリスト教の何とかと言う有名な先生がね。私が、もしも、あのキリスト教で、教徒でなかったならば、もちっとマシな人間的な生活が出来たであろうにと言ってるんです。ね。これは、そういう意味のことを、ほんなら、いわば、お坊さん達でも、言うておる人が沢山あります。ね。だから、如何に、ほんなら、いわゆる、右手では、本当の助かりにはならないと言うことを感じるんです。ね。左手、そして、ほんなら、右手ということになれば、こりゃまた、別の世界でしょうけれどもね。
合楽では、確かに、今まで言うて来た観念、あの、宗教理念を、言うなら、真っ向から、その、打ち壊す、こりゃほんなら、各、金光教の昨年の信心をも、やっぱり、同じことが言えるわけです。だから、この新聞に、吉木先生の、言うなら、ご修行のことが、毎月、筑紫物語というのが、これに転載されておりますけれどもね。言うなら、先生方がなさった修行、ほう、そんなら、それを真似するということになることは、もう、合楽理念には、反することになるんです。だから、こういう、過去百年の先生方がされた修行は、もう、基礎、地盤としての頂きであって、それを上に現して頂いて行くということは満てない。もう、そういう事を、例えば、私が、もう一度、大きい声で言うと、ほんなら、合楽は、本部に対して謀反を起こすといって、だから、謀反を起こさなければいけないのです。金光教が、ひっくり返ってしまわなければいけないのです。ね。そういう大変な、あの、おかげを頂くためには、私一人の力では出来ん。いわゆる、多くのもののし、いうならば、合楽理念を実験して、そしてそれを実証、いわゆる、現して、そして、親先生が言われるとが、そうだ。ほんなら、親先生だけじゃない、私も見てくれというような人達が、沢山出来てこなければ、これをひっくり返すことは出来ません。だから、こりゃ、まぁだ、言われない。ただ、私共、合楽の者だけがね、そういう思いを持って、ひとつ本当に、そういう、もう本当に、世界総人類を総助けに助けていけれる、言うなら、根本的な、言うなら運動が、今、合楽で、ボツボツこう出来だした。ね。そういう時にです、私共が、合楽にご縁を頂いておるということをです、ね。もちっと、有難く思うたり、ね。知学にたっての信心、ね。そこから、先ほど、あの佐賀の支部長の問いに対して、さっきまぁ、それの答えのように聞いて頂いた。言うならば、スルメであり、鰹節であり、言うならば、喜びであり、ね。そういう三つの修行が、本当になされるという事。これはね、他の宗教じゃ、やっぱ、同じことを言ってるんですけれども、そういう風に、自分というものが、ぎりぎり分かって、改めていく、言うなら、身を削る喜びというような喜びが出来て、そこに初めて、喜びの味わいと、鰹節の味わいと、スルメの味わいが、もう、渾然一体となって、なるほど信心というのは有難いものだ、楽しいものだ。しかも、愉快にもなってくるんだというようなね、ところまで高めて行くという事を、言うならば、合楽の船に乗って、いわゆる、向こう岸に渡らせていただく、いわゆる願い。天地の親神様の願いの地でもある。ね。悲願の彼方へ、私共が、到達させて頂く様なね、おかげをもう、とにかく頂いてもらいたい。ね。小規模にでも良いから、それを頂いてもらいたい。ね。そして、そういうおかげのいただけれる事実を皆に見、そして、聞きして頂きたいと思うんです。もう、どうにも、やりきれないほどに思いは一杯なんですけれども。さっき、岩部先生が言っておることを聞きながら、また、秋永先生が話しておることを聞きながら、その通りなんだ。それで、そこまでは、本当に信義で、そこまではみんなも分からせてもらえれる、ひとつおかげを頂きたいと思うんです。どうぞ。